ありがとうございます。
「自由泳法」が終了した。
 
こんばんは、九屋あんずです。
さっき、ついさっきだ。
 
もう二度とあらわれることのない空間を、あたしはどう記憶してゆくのだろうか。 
 
事実、わたしの記憶や感覚は
わたしに関するといっぺんに鈍感になってゆくから心配だ。
 
 
沢山の方から頂戴したメッセージを何度も読み、
ひとつのやさしい節目が見えました。
こんなに野心なく
心みたされる夜は、数年ぶりだろう。
 
あすになったらかわるとしても。
 
 
 
わたしの絵を、
自分と自分の「大切な人」のそれぞれに買ってゆかれたひとがいる。
 
人はことごとく同床異夢だ。
だからこそ、考えやこころ、理念の疎通が
幸福や奇跡にもちかい事をしっている。
 
人を大切だと思えることが、大切だと思われることが
どんなにかすばらしいことなのか、ちゃんとしっている。
 
その愛のひとつとして
わたしの絵が贈られたのならば、ありがたいことです。
 
 
きょうはこんなふうに、
突きすすむのをわすれていたいのです。
小雨の、じゅうぶんに素敵な夜です。
【2008/06/30 00:40】 | 第三空間「自由泳法」 | page top↑
展示・通販共に日曜日までっ
魅力。どれだけそれを認められるかで楽しさは格段にちがう。
 
こんばんは、九屋あんずです。
おかげさまで連日展示は大賑わいのようで
前回にもまして新聞を増刷するなどしています。ありがとうございます。
 
通販締め切りも、展示終了も今週日曜日で御座いますっ。
 
 
恋人となると
なんかきゅうにとがめたくなったりしても
友達となると
ただ魅力として、そのひとの性質として愉しめちゃうという不思議な現象がある。
ということを、江國香織さんより教わる。
 
 
幸いわたしにはたくさんの男友達がおり
そういうふうに考えると
変わった所もみんな魅力のひとつです。
 
 
きょうは短いですがここまで。
【2008/06/27 23:39】 | 日記 | page top↑
お別れについて思うこと

次いつ会うのか判らない別れは、寂しくなんかない。
 
はい、こんばんは、九屋あんずです。
きょうは数年ぶりに友達のゆかりに再会しました。
 
 
わたしは本当は泣きたいのに泣かないからもらい泣きする、姑息な便乗タイプなので
 
彼女の再会の抱擁と(ぎゅううっていうあったかい人間のちから)
涙にふつうに泣けちゃったのでした。(もっともの凄く泣けるようになりたいと思った)
 
こんなふうに再会を喜ぶことが出来るなんて
なんて素敵な人なんだと思った。どうもありがとうね。
 
 
 
いろいろ話をしていて、
どうもわたしの人付き合いには「旅は道連れ」的な傾向があって
 
ゆかりには「別れとか寂しくないの?」と聞かれ
事実わたしはおどろいた。
 
 
恋愛だけじゃなく今まで沢山の人や物や思い出と別れてきて
たしかにいま手元にはほとんどなにもないし、
それはそれは淋しい女だけれど、
 
そのときそのときの別れにあたしは、大概、満足してきたと思う。
 
 
それはあたし以外にも人間が生きていることの印であり、
そのなかであたしと相手の擦りあう時間があったことの証拠であり、
 
へんなことだけれど、
自分という旅館からお客様を送り出すような気持ちなのだ。
 
 
 
だからときどき手紙を送ったりすることはとても肝心で
すごく健やかなことで。
 
だって、別れは元来せつないから、
ときおりの連絡なんかは、ほんとうは活字で済む話じゃないと思っている。
 
 
 
繰り返しになるけれど、
別れは元来せつない。
 
けれどやってきてしまうものだから、だからいいのだ。
 
永遠にいつも会っていたい相手は
永遠にいつも会える相手じゃないのだ。
 
永遠にいつも会えないから
「時を心に留めておきたい」と願うのだとおもう。
 
 
 
これからも沢山の人と別れるだろう。
そのとき泣いたりするかもしれない。
 
しかしながら次いつ手紙を出そうかと、一方でわくわくしてもいるのだ。
 
(二度と会えないならば、その手紙をださないまで。
 或いは、思い出の日と場所をのこし、毎年訪れたりします。)
 
 
 
(さっき投稿したのにうまくでてないのでもう一度
【2008/06/25 23:38】 | 思いこぼれ | page top↑
態度やエレキ、駅時化ない
すいかのにおいがした。母が食べたのだろう。
 
こんにちは、九屋あんずです。
 
フルーツおたくと化している母は毎年毎年すいかをかかさないのに
わたしはそれを眺めては、
10年ぶりくらいのすいかのように感じる。
食べはしません。
 
 
三谷幸喜の「役者気取り」に
アナグラムの話があったので、さっそくやってみる。
 
名前を入れかえて、別の文にするというものです。
 
ここやあんず → 餡子屋来ず
 
 
一人じゃ面白くないので、九屋班のみなさんでも考えてみよう。
 
くろかわようこ → 鍬買う頃よ
あおきうみ → う、置き網 (魚の気持ちで)

 
ごめんなさい…、なんで若干ブラックな感じのなるの、わたしのアナグラム。
とかも「う、」って。
 
 
 
そんななか、劇的に格好いいアナグラムが出来ました。
 
 
それがこちら。
  
 
いしいよしと → いと良い獅子
 
いと旨しの「いと」ね。
ベリークールライオンですよ。
なんですかこれ、相当格好いいじゃないですか。
 
みんな餡子屋がこなかったり、鍬(くわ)買ったり、魚と化したりしてるのに。
自分で考えたアナグラムなのに悔しいのは何故。
 
 
 
タイトルはわたしのいまのこころがアナグラムになってます。
わかったひと、是非拍手コメントでどうぞ。
わからなかったひと、降参の意を拍手コメントでどうぞ。
 
「たいどやえれき、えきしけない」
 
【2008/06/24 17:47】 | 日記 | page top↑
両手で原稿用紙を書き進めることって不可能じゃないよね。
たとえばそれは中国語の先生の着ていた鮮烈な赤と彼女の佇まいである。
 
こんばんは、九屋あんずです。
ちかごろのことで記憶に残っていること、
一番印象に残ったことを書き留めるのが日記だとしたら上記一行だけだ。
 
 
けれど、そんなことだけなはずがない。
 
朝のとめられない吐き気や、
友達の顔をみて彼の忘れ物を押し付けた瞬間からなんだか吐き気が和らいだこと。
本屋にいってまたどっさり買ってしまったことや、
寝そべりながら三谷幸喜さんの「役者気取り」を読んで起き上がったら
10時間くらい寝たあとより顔色が良かったこと(さくさく読める本と快適な風によるもの)。
 
映画だって「しゃべれどもしゃべれども」「パプリカ」を見た。
 
とにかくいろんなことをしているのだ。
わたしが手書きで日記を書くとき、こころの問題だけについて書く傾向にあったのは
単純にしたことを書き留めていたらきりがないからだ。
 
 
 
それからコーヒーの木がまた成長してきまして、
むくむくと新しい芽がひらいています。
 
08062103.jpg

写真はその瞬間。
 
 
 
そうそう。
カメラで何かを取ること、とくに物を撮るのは面白いですね。
 
ブツ撮りというんでしょうか、
次の活動に先駆け、扇子と手ぬぐいの写真を撮る事にしまして。
 
 
カメラマンになったつもりで
照明もあっちからあてたりこっちからあてたり、
扇子と手ぬぐいの魅力を引き出していく作業がねー、たのしいです。
 
扇子って、軽く広げたときの
手で持つところ、あんなにエロティシズムがあるものなのか。
 
 
11月ごろ公開になる作品ですが、乞うご期待。
 
 
【2008/06/23 21:09】 | 日記 | page top↑
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