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怒りと死についていうなれば

「一緒に死ぬのはいいけど、金だけはどうにもなんねぇや」
 
こんばんは、九屋あんずです。
落語「品川心中」で、金蔵という男が女郎のお染に
そんなようなことをいうのです。
 
 
その後金蔵はえらい目にあうんですけど
まぁとにかくわたしはここに衝撃を受けた。
 
女に金がないから一緒にと心中を迫られて、
金だけはなぁなんてしょぼくれるのだ。
 
命か金かと言われて
「金はなぁ」なんて。
 
 
当時の人にとって、現世だとか命だとかっていうのは
またちがうとらえ方がされていたんでしょうか。
 
それとも、それだけ女を愛していたということなのかな。
惚れた腫れたの喜劇悲劇はいつだって哀愁や焦がれ。
 
まぁ、もちろん当時のことだからね。
いま「死ぬこと生きること」について論じるなら
もっと思考を新しくしなければならないのだろうけれど。
 
 
 
とはいえ近頃の
無差別な殺人には、あんぐりとしてしまう。
社会的なことはあまりね、話さないのだけれど。
 
以下のわたしの考えよりも、
もっとよりよい答えが何処かにあることはもちろんわかっている。
 
 
しかし「むしゃくしゃ」って。
 
ほんとうに怒ったら、傷ついたら
むしゃくしゃどころじゃないのだ。
メールでも無理。もちろん掲示板でも無理。
 
相手と自分が違う物体であることにどこまでも苦悩して
そう簡単に死なせてたまるか、謝らせてたまるかと、
時には、相手を土俵にあげつづけるのだ、納得のいくまで。
 
 
そうやって食って掛かって、何ヶ月、何年、ときには何十年も
相手の襟首を自然と放せるようになる日を待つのだ。
 
放してやっと開いた自分の手に
なにかあたらしいものがやってくると信じながら、もがくのだ。
怒りというのはそういうものだと思う。
 
(当たり前だけれど、こんな経験をおすすめしたりはしない。
 誤解のなきよう。
 怒らず稀有に生きていたいというのが本望です)
 
 
そうやって業火のごとく誰か一人と接触すると
なんの関係もない人を無差別になんていう気持ちには、まずならない。
 
ならない。
 
 
 
 
いつからだって、握り締めた手を開けばそこになにかやってくる。
 
いつからだって、遅くはないのだ。
開くのに時間がかかったって、別にいいのだ。
 
焦っちゃいかんのだ、と私は考えます。
焦ってしまいそうになる世の中で
焦らずにいられることほどかっこいいことはないのだと思うのです。
 
噛み付くようなことを言い過ぎましたね、失礼。ご堪忍を。
 
 

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2008.06.14 | | 思いこぼれ



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プロフィール

九屋あんず

Author:九屋あんず
脚本、イラスト、文筆など。
1988/03/31生まれ。 
公式サイト
ここやあんずにInterview

写真撮影:栗原大輔さん
メイク:都築孝子さん

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