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自分の顔を絶対評価するということ

自分の顔を絶対評価制にしている、ということに関してコメントをいただいたので
それについて書こうと思う。
 
遡ること、3歳。
わたしは弱視でケントデリカットみたいなメガネをかけなきゃならなくて
それはそれは周囲にいじめられた。自分の見た目大嫌いになった。
その後女子の中高へいくわけですが、
そこには必ず可愛い子がいて、十人並みの顔じゃ負け戦もいいとこ。

自分の容姿も、互いに「可愛いよぉ」と言い合う女のあの感じも、すごい嫌だった。
相対評価の中で生きていたら、どんな美人でも苦しい。
そんな地獄にいることに、何の意味があるのか。
 
18くらいから写真のモデルをしだしたのは、今思えば絶対評価制度を導入したかったからだろう。
わたし一人しか写ってない写真を、私自身が美しいと感じるか、という評価だ。
当然最初はうまいこと行かない。
というかしばらくうまいこと行かなかった。私の顔なんてねー、感が抜けなかったのである。
 
それでも映画に出たりモデルをしたりを続けていたのは
相対評価の地獄にさらされるのがどうしても嫌だったからだと思う。
付き合いも男友達中心になって、まず相対する相手がいない環境に自分を置いた。
 
そしたらだんだん、自分の顔のいい時と悪い時とがわかるようになってきた。
いい時は、素直に「きょういいな」って思うことにした。
それも口にすることにした。
そうすると自画自賛してんじゃねぇよ、という人はわたしから離れていっただろうし、
自画自賛ありありだよ、という人がわたしの周りにのこってくれた。
 
 
それであるとき、ある人と出会った。
その人はわたしを可愛いと、宇宙一だと言い続けた。かれこれ一年だ。
最初は、なんだよ宇宙人見たことあんのかよと思ってたけど、
わたしをもてはやすでもなく、ただ本当にそう思っているトーンで言われ続けると
それがその人にとっては真実なんだなー、と思ったのだ。
 
そうか、それでいいんだなぁと。誰に迷惑かけるでもないし。
わたしから見て、わたしが綺麗なり可愛いなりなら、もうそれでいいかなって思い始めたのである。
 
相対評価の世界では何億という数の女の顔にわたしは劣るかも知れない。
でもそんな何億と比べてる時間がもったいない、
ミスコンに出るわけでもないんだし。

そんなことより、きょうちゃんと口紅の色が思い通り乗るかの方が重要じゃん?
で、ちゃんと色が乗ったら、わたしの中では百点になるかもしれないじゃん?
 
そう考え出してから
自分の顔の美醜の判断基準がオリジナルになったんだよね。
こだわりたいとこだけちゃんとできてるかで点数をつけるから
他人の美とかどうでもよくなってしまいました。
美人をみても、「きょうわたしも綺麗なのよね、うふふ」とか余裕かますようになったわけです。
 

オリジナルの基準があると
本当に持ち歩きたい化粧道具しか持たないで済む。
わたしはオールインワンファンデと、チークと、口紅だけ。
アイメイクは好きじゃないからしない。
 
もちろんわたしは盛りたいわっていう人は
他人がなんと言おうと盛って盛って別人になるのもいい。
そこも絶対評価でいたほうが、気が楽だよ。
 
 
そこから不思議なんだけど
顔を褒められることが増えました。

先日出た映画「健康で文化的な最低の生活」(小杉衛蔵監督)では
わたしのことを別の役が「綺麗だった」と形容するシーンが入っていて
「おおお、綺麗にカテゴライズされてるw」と喜んだばかりです。
 
 
俯瞰の視点で自分を見ることももちろん大事だけど、
相対して辛い思いをするくらいなら、わたしはやめちゃいました。とさ。

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2014.11.02 | | 日記



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プロフィール

九屋あんず

Author:九屋あんず
脚本、イラスト、文筆など。
1988/03/31生まれ。 
公式サイト
ここやあんずにInterview

写真撮影:栗原大輔さん
メイク:都築孝子さん

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