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「劣等で普通」の話

「3月31日生まれです」
というと、大概の人は
「うわー、ぎりぎりだねぇ」
という。
 
新学年の境目が4月2日なので、
あたしはもうちょっとで一学年下になるところだった。
この誕生日問題は深刻かつ、すごく面白い話だと思っている。
 
 
幼稚園のころ、わたしの人生のすべては親、そして同級生だけだった。
みんながわたしより人間として発達していた。
背が高い、言葉もうまい、走るのが速い。
で、わたしはそれを何の疑問とも思わないで、
全人類というものはわたしより勝ってるのが普通なんだなぁー、と思ったのだ。
 
悔しいと思う理由もなかった。
だって、それ以外の世界を観たことがなかったから。
兄弟もいないし、小さい子にもそこまで興味を持たなかったからか
自分がしってるなかで自分が最弱だったのだ。
 
 
加えて私は最初、弱視だった。(今は遠視ね)
三歳の頃から、今見ると衝撃的な分厚さのめがねをかけていて
友だちから見るとそれは「補聴器」とか「松葉杖」と同じくらいの
それがないとやっていけない、生命補助の何かに見えてたと思う。
見た目もダサいしね。ケント・デリカットだからさ。
 
他の子達はめがねをかけなくてもなんでも見えるのねぇ…
と思いなから、独特の柔らかさのめがね拭きでめがねをふいてたんだ。
 
 
その「劣位で普通」というかんじがわたしのベースにあったおかげで、
わたしには、できないもの上手くいかないことを受け止めるパワーみたいなものが生まれたんだと思う。
 
いじめでめがねを投げられても
「そりゃ、こんなもん投げますわな」とどこかで思ってたし(悲しかったけどね)
集団行動でお腹が痛くなっても
「そりゃ、みんなできるからなぁー」と思っていた。
卑屈っぽかったけど。
 
 
だけどそのうち、自分のできない面もなかなか好みになってきたんだなって思うの、最近。
卑屈っぽさみたいなものがなくなってきて
「やー、できませんねー笑」みたいになってきた。
ふてぶてしくなった。
 
同時に、できることの範囲を増やしていく楽しさにも目覚めている。
ここで列挙したらなんかひけらかしっぽいから言わないけど
わたしだからできることみたいなのを、たくさん発見したし、いまもしてる。
 
 
そんなわけで、超ぎりぎり誕生日に生まれて、人類で最劣等だと認識してたことが
あとあと、わたしにとっては良かったよねぇと思うことが多いのだ。
劣等感に苦しんでいるひとってすごく多いけど、
それっていくらでもバネになるんだよねぇ。
 
でも天パーは捨てちゃった、というのはまた別のお話…。。。
 
 
書きたいことメモ
「縮毛の話」「特殊片思い論の話」「模様替えの話」「早起きにシフトしてる話」「読んでるふりの話」
忘れそうなので。
この中でこれが早く聞きたいという方はツイッターなどでお気軽に。
@CoCoyaAnnzu
 
IMG_1267.jpg

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2012.07.25 | | 日記



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プロフィール

九屋あんず

Author:九屋あんず
脚本、イラスト、文筆など。
1988/03/31生まれ。 
公式サイト
ここやあんずにInterview

写真撮影:栗原大輔さん
メイク:都築孝子さん

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