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「無理はしないように」とのことです。
こんばんは、九屋あんずです。 明日はなんと五時半起きです。 古畑任三朗は六時に集合させられて 「人間の起きる時間じゃないよぉ」と豪語していたのに。 なんのためかといいますと、新聞の印刷の関係でございます。 というのも、 火曜日から始まる「自由泳法」で配られる新聞。 前回、もっとも注目を浴びたであろうこの作品兼ランチョンマット、 今回も登場いたします。 黒川陽子さんとの合同作品。 すごく面白いです、お愉しみになさってください。 こんな感じで、別のことばっかり話してきましたが なんだかんだで夏の個展に向けて追われています。 明日の夜はちょっと更新できるか分かりませんので いまのうちに。 今回の展示と前回とのあいだで わたしのについて大きく変わったことは無数にあります。 「無理はしないように」といわれた回数もそのうちに入るでしょう。 友人に恵まれたということでしょうか、ありがたい。 多方面でお世話になったある方には 「ゆっくりやんなさいよ、生きなさいよ」なんて言われまして。 実はそれがある区切りとしての別れの言葉だったのですが それがいつまでもこころに染みわたる。 無理をしないというのもなかなか難しいことで、 肩に力が入りすぎることもしばしば。 それをかっこわるいと思うのをとりあえずやめる努力をしています。 だってはいっちゃうもの。 調節なんて徐々にしていけたらいいと思います。 とはいえ。 ね。 だって、ゆっくりと生きたいもの。 「自由泳法」という停車駅に向かって列車がごうごううなっていて いまはちっともスピードを緩めたくないけれど 停車したら、 ほんのすこし電車を降りてお土産やさんでもひやかしたいと思うのです。 以下、メッセージお返事です。 |
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「一緒に死ぬのはいいけど、金だけはどうにもなんねぇや」
こんばんは、九屋あんずです。 落語「品川心中」で、金蔵という男が女郎のお染に そんなようなことをいうのです。 その後金蔵はえらい目にあうんですけど まぁとにかくわたしはここに衝撃を受けた。 女に金がないから一緒にと心中を迫られて、 金だけはなぁなんてしょぼくれるのだ。 命か金かと言われて 「金はなぁ」なんて。 当時の人にとって、現世だとか命だとかっていうのは またちがうとらえ方がされていたんでしょうか。 それとも、それだけ女を愛していたということなのかな。 惚れた腫れたの喜劇悲劇はいつだって哀愁や焦がれ。 まぁ、もちろん当時のことだからね。 いま「死ぬこと生きること」について論じるなら もっと思考を新しくしなければならないのだろうけれど。 とはいえ近頃の 無差別な殺人には、あんぐりとしてしまう。 社会的なことはあまりね、話さないのだけれど。 以下のわたしの考えよりも、 もっとよりよい答えが何処かにあることはもちろんわかっている。 しかし「むしゃくしゃ」って。 ほんとうに怒ったら、傷ついたら むしゃくしゃどころじゃないのだ。 メールでも無理。もちろん掲示板でも無理。 相手と自分が違う物体であることにどこまでも苦悩して そう簡単に死なせてたまるか、謝らせてたまるかと、 時には、相手を土俵にあげつづけるのだ、納得のいくまで。 そうやって食って掛かって、何ヶ月、何年、ときには何十年も 相手の襟首を自然と放せるようになる日を待つのだ。 放してやっと開いた自分の手に なにかあたらしいものがやってくると信じながら、もがくのだ。 怒りというのはそういうものだと思う。 (当たり前だけれど、こんな経験をおすすめしたりはしない。 誤解のなきよう。 怒らず稀有に生きていたいというのが本望です) そうやって業火のごとく誰か一人と接触すると なんの関係もない人を無差別になんていう気持ちには、まずならない。 ならない。 いつからだって、握り締めた手を開けばそこになにかやってくる。 いつからだって、遅くはないのだ。 開くのに時間がかかったって、別にいいのだ。 焦っちゃいかんのだ、と私は考えます。 焦ってしまいそうになる世の中で 焦らずにいられることほどかっこいいことはないのだと思うのです。 噛み付くようなことを言い過ぎましたね、失礼。ご堪忍を。 |
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