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もうひとりでだいじょうぶだ
と思うのは そうとうたいへんだとおもうから 焦ることもないんだろうけど 地下鉄の扉が空気でばたばたしている。 怖くなったら泣くくらいいいよね。 |
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横に働くパワーは「みなぎるちから」だ。
こんにちは、九屋あんずです。 理科はさっぱりわからないんですね。 (題と解って使ってみたかっただけです。) そんなわたしの珍解答を期待して高校生が聞きにくるんです。 □→ 箱をひっぱってるらしい矢印の力のよこに空欄があったりして わたしは迷わず答えるわけです。 「ほとばしるパワー」か「みなぎるちから」だよ。 誰かが箱を押してたりしたら、あながち嘘じゃないと思う。 まさしく「みなぎるちから」じゃないですか。 こういうことを考えていたのは高校生のときで いまはそれを思い出して言ってるだけなんですけど。 高校生のとき、何を考えていたのかさっぱり思い出せない。 日記があって 確かにそこには高校生のわたしがたくさんのことを考えて 一日何ページも日記を書いているし 言いたいことももっとその奥の感情も、ちゃんと判るし、 いまのわたしは過去のわたしのわりとよき理解者だとおもう。 けれど、 全部精神的な話で、実際どんなことをしていたのかはさっぱりわからない。 どんな授業を受けていたのかも覚えていないし 正直なにクラスだったのか、とか 誰と隣になったのかもおぼろげ。 覚えているのは、 近くの席の友達が何か隠して笑ったときのその一瞬とか 博学は美徳だなぁと思わせてくれた先生の無表情とか それぞれの教室を歩いたときの、それぞれの足音のひびきとか。 印象的なことは全部、 精神に直接ふれてくる一瞬ばかりで 具体的な日々なんてたぶん そのときも覚えてなかったんだとおもう。 きょうなにするか あしたなにするかはあまり問題ではなくて 毎日が同じ思考で数珠つなぎだったきがする。 そんなことばっかりしていたから 勉強なんてもちろんしなくて、そのちょろまかしの果てが「みなぎるちから」なのだ。 それでひとがちょっと笑ってしまう、その一瞬の緩和がすきだった。 |
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