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お別れについて思うこと


次いつ会うのか判らない別れは、寂しくなんかない。
 
はい、こんばんは、九屋あんずです。
きょうは数年ぶりに友達のゆかりに再会しました。
 
 
わたしは本当は泣きたいのに泣かないからもらい泣きする、姑息な便乗タイプなので
 
彼女の再会の抱擁と(ぎゅううっていうあったかい人間のちから)
涙にふつうに泣けちゃったのでした。(もっともの凄く泣けるようになりたいと思った)
 
こんなふうに再会を喜ぶことが出来るなんて
なんて素敵な人なんだと思った。どうもありがとうね。
 
 
 
いろいろ話をしていて、
どうもわたしの人付き合いには「旅は道連れ」的な傾向があって
 
ゆかりには「別れとか寂しくないの?」と聞かれ
事実わたしはおどろいた。
 
 
恋愛だけじゃなく今まで沢山の人や物や思い出と別れてきて
たしかにいま手元にはほとんどなにもないし、
それはそれは淋しい女だけれど、
 
そのときそのときの別れにあたしは、大概、満足してきたと思う。
 
 
それはあたし以外にも人間が生きていることの印であり、
そのなかであたしと相手の擦りあう時間があったことの証拠であり、
 
へんなことだけれど、
自分という旅館からお客様を送り出すような気持ちなのだ。
 
 
 
だからときどき手紙を送ったりすることはとても肝心で
すごく健やかなことで。
 
だって、別れは元来せつないから、
ときおりの連絡なんかは、ほんとうは活字で済む話じゃないと思っている。
 
 
 
繰り返しになるけれど、
別れは元来せつない。
 
けれどやってきてしまうものだから、だからいいのだ。
 
永遠にいつも会っていたい相手は
永遠にいつも会える相手じゃないのだ。
 
永遠にいつも会えないから
「時を心に留めておきたい」と願うのだとおもう。
 
 
 
これからも沢山の人と別れるだろう。
そのとき泣いたりするかもしれない。
 
しかしながら次いつ手紙を出そうかと、一方でわくわくしてもいるのだ。
 
(二度と会えないならば、その手紙をださないまで。
 或いは、思い出の日と場所をのこし、毎年訪れたりします。)
 
 
 
(さっき投稿したのにうまくでてないのでもう一度

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2008.06.25 | | 思いこぼれ



怒りと死についていうなれば

「一緒に死ぬのはいいけど、金だけはどうにもなんねぇや」
 
こんばんは、九屋あんずです。
落語「品川心中」で、金蔵という男が女郎のお染に
そんなようなことをいうのです。
 
 
その後金蔵はえらい目にあうんですけど
まぁとにかくわたしはここに衝撃を受けた。
 
女に金がないから一緒にと心中を迫られて、
金だけはなぁなんてしょぼくれるのだ。
 
命か金かと言われて
「金はなぁ」なんて。
 
 
当時の人にとって、現世だとか命だとかっていうのは
またちがうとらえ方がされていたんでしょうか。
 
それとも、それだけ女を愛していたということなのかな。
惚れた腫れたの喜劇悲劇はいつだって哀愁や焦がれ。
 
まぁ、もちろん当時のことだからね。
いま「死ぬこと生きること」について論じるなら
もっと思考を新しくしなければならないのだろうけれど。
 
 
 
とはいえ近頃の
無差別な殺人には、あんぐりとしてしまう。
社会的なことはあまりね、話さないのだけれど。
 
以下のわたしの考えよりも、
もっとよりよい答えが何処かにあることはもちろんわかっている。
 
 
しかし「むしゃくしゃ」って。
 
ほんとうに怒ったら、傷ついたら
むしゃくしゃどころじゃないのだ。
メールでも無理。もちろん掲示板でも無理。
 
相手と自分が違う物体であることにどこまでも苦悩して
そう簡単に死なせてたまるか、謝らせてたまるかと、
時には、相手を土俵にあげつづけるのだ、納得のいくまで。
 
 
そうやって食って掛かって、何ヶ月、何年、ときには何十年も
相手の襟首を自然と放せるようになる日を待つのだ。
 
放してやっと開いた自分の手に
なにかあたらしいものがやってくると信じながら、もがくのだ。
怒りというのはそういうものだと思う。
 
(当たり前だけれど、こんな経験をおすすめしたりはしない。
 誤解のなきよう。
 怒らず稀有に生きていたいというのが本望です)
 
 
そうやって業火のごとく誰か一人と接触すると
なんの関係もない人を無差別になんていう気持ちには、まずならない。
 
ならない。
 
 
 
 
いつからだって、握り締めた手を開けばそこになにかやってくる。
 
いつからだって、遅くはないのだ。
開くのに時間がかかったって、別にいいのだ。
 
焦っちゃいかんのだ、と私は考えます。
焦ってしまいそうになる世の中で
焦らずにいられることほどかっこいいことはないのだと思うのです。
 
噛み付くようなことを言い過ぎましたね、失礼。ご堪忍を。
 
 

2008.06.14 | | 思いこぼれ



不眠について その1

眠るまでいるよ
 
と、
言われることが一番の薬であると私は考える。

2008.06.02 | | 思いこぼれ



白湯

 
この世にはほんとうの女がたくさんゐるように
ほんとうの男もたくさんゐる
 
 
でも
異次元の芝居に焦がれたりして甘くなった代償を
「現実」と称してしまったのだらうか。
 
 
 
実際の父親においても同様だ。
 

2008.05.07 | | 思いこぼれ



ヒトデの標本

いまふと思い出して
思い出すのは人生最後だと強く思ったので
忘れないうちに書いておこうと思うんですけど。
 
 
ヒトデの標本みたいな、お土産的なものがアトリエにあってね
 
あるひとが描こうとしたら
「そんなでこぼこした物やめなよ」
って、言ったんですよ、お師匠が。
 
で、そのすぐあとにさ
「そういうのはさ、
 
 九屋さんだよ」
 
ってきっぱり言ったんだよね。
 
 
師匠曰く
「このでこぼこを描いてやるぅ~(といって手をブルブルさせる←なんのゼスチュア?)」
ってなるのが九屋、らしい。
 
 

 
そんなことないよ!笑
べつにそんなことないよ!
 
敢えてそんな、でこぼこ選んで戦ったりしないよ(するけどさ)
 
お花とか、透き通った花瓶とか
こんな平和な絵面ないだろうっていうくらいいつも平和じゃないか。
 
なんでそう、ヒトデとわたしのデスマッチみたいにしたいかなぁ。
 
 
いつか描いてやる。(あれ)

2008.02.11 | | コメント(0) | トラックバック(0) | 思いこぼれ



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プロフィール

九屋あんず

Author:九屋あんず
脚本、イラスト、文筆など。
1988/03/31生まれ。 
公式サイト
ここやあんずにInterview

写真撮影:栗原大輔さん
メイク:都築孝子さん

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